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路上演劇祭Japan
路上演劇祭とは

路上演劇とは? メキシコ路上演劇との出会い 路上演劇祭の特徴

路上演劇とは?
 路上で行われる演劇を目にしたことがありますか?
 日本では、演劇はほとんど劇場、ホール、スタジオなどで公演されています。野外劇、街頭劇というスペクタクルもないわけではありませんが、演劇空間として特別に区切られた場所へ、愛好者が足を運んで鑑賞するというスタイルが一般的です。
 だれもが行き交う路上(広場や公演)で、大道芸以外の演劇をみることは全くと言っていいほどありません。演劇は、多くの人にとっては縁遠いもの、日常の生活とはおよそ関係のないものになっています。
 路上は、人々が交叉し、出会い、笑ったり泣いたりする場所です。そこではさまざまな出来事がおこり、時には問題も発生し、また微笑ましい光景も見られます。物売りや大道芸人、こどもの遊ぶ声、ときには祭りの行列、…路上は本来、日常と非日常が交錯し、ドラマも生まれる豊かな場所です。ところが、今、路上で目につくのは、次の目的地にひたすら急ぐ人、広告のためのティッシュ配り、経済活動から取りこぼされた人たち、行き場のない若者、…ドラマが消えた路上は、管理されたよそよそしい空間になってしまいました。
 日本ではほとんど見ることのない路上演劇ですが、ラテンアメリカ、ヨーロッパ、またアジアでは、祝祭性、芸術性、そして社会教育的な側面をあわせもつ1つの表現形態として息づいています。また、まちを生き生きとよみがえらせ、さまざまな人々との交流をひらく新しい方法ともなっているのです。

メキシコの路上演劇との出会い
 1992年にメキシコシティで第1回メキシコ路上演劇祭が開催され、日本から里見のぞみ(マイム)、山上千恵子(ビデオ・アーチスト)が招待参加しました。以降99年まで、5回にわたって参加し、日本にはない演劇の上演形態とその機能に目を瞠りました。
 文字通り路上(広場、前庭、公園、駐車場、など)で行われる演劇を、通りがかりの人々が立ち止まり、まわりを取り囲んで見ています。特別な装置や仕掛けはありません。人々を惹きつけるためにドラムなどの楽器、高足(竹馬のようなものを履いて足を長くして演技する)や仮面、またクラウン芸やアクロバットも取り入れ、道行く人々の関心をひきながら、社会的なテーマを取り上げています。いわゆる大道芸が個人の芸を見せることに重きをおいているのに対して、家族の崩壊、ドラッグ、暴力、差別、路上生活するホームレスの子供たちなど、人々の抱える現実を表現し問いかけています。
 フェスティバルの期間中は、メキシコ各地から演劇の専門家、学生劇団、学校の先生、演劇を使って教育や福祉に携わる人、市民活動に演劇を取り入れている人、さらには実際に路上生活をしている子どもたちも集まり、さまざまな形態で演じ楽しむうちに、いつしか公共の野外空間は演劇空間に変わっていきました。

 特に印象的なのは路上で生活する子どもたち自身が、彼らの状況を表現した劇です。
指導者が路上に何度も出向いて、子どもたちと少しずつコミュニケーションを深め、劇を作っていくのですが(里見のぞみや山上千恵子も何度か加わりました)、その家庭で、子どもたちは自分達のおかれている状況や問題について客観的な視点を持てるようになり、仲間と演じたり作品をつくるという行為を通じて、達成感や誇りを得ていきます。一方、観客にとっても、汚く危ない存在でしかなかった子どもたちが、実際どういう事情で路上生活するようになり、どのような暮らしをしているのか、初めて彼ら自身から見聞きすることで、子どもたちへの見方が変わってくるということです。

 フェスティバルでは、路上演劇の表現力を高め、実質的な向上を図るために、プロの演出家、俳優、ダンサー、マイム、アクロバット、大道芸人達によるワークショップもひらかれ、またオルタナティブ演劇会議などもあわせておこなわれ、各地で草の根的に活動している参加者たちが出会い、交流を深め、ネットワークを形成して、技術的にも精神的にも力をつけていくようです。

路上演劇の特徴
●人通りの多い路上(広場、公園、公共施設の前庭、駐車場、駅前など)で演劇を上演する
●観客は道行く人、事前に公演情報を得てきた人、近所の人など、誰でも
●上演は、演劇、マイム、音楽などの専門かだけでなく、教育、福祉などの関係者、また路上生活をしている人など、当事者が自分達の状況を描き、観客と対話することもある
●ジャンル・スタイルは問わないが、中心は社会的で身近な問題やテーマを扱った
ソシオドラマ
ソシオドラマは、主に家族、学校、仕事、地域など、そこでの人間関係や構造などを描く。「当たり前」と見過ごしたり、「どうしようもない」とあきらめていることを見直す、あるいは「他人事」と無視していたことなどを、新たに発見する機能を持つ
●自分にとっての異文化(知らないこと・ちがうこと)に触れることによって、自分自身の境界線を少し広げたり、踏み越えたり、引きなおしたりするきっかけに出会う。それは到来が確実視される多文化社会の扉を、笑いとユーモアを交えて開こうとするものである
●上演だけでなく、上演に至るプロセス_テーマ_について知る、理解することを重視し、継続的な交流や新たな活動が生まれることを目指す