night

路上演劇祭Japan

 

路上演劇祭 開催の意義

メキシコ路上演劇祭の意義
 自分舘のかかえる身近な問題をテーマにドラマをつくるソシオドラマが路上演劇の中心です。
 メキシコでフェスティバルをコーディネートするギジェルモ氏達が直面しているのは、困窮する農民の都市への流入、都市の人口増加と周辺部のスラム化、失業問題、家族の崩壊、居場所をなくして路上生活を余儀なくされる子どもたち、蔓延するドラッグや暴力などメキシコ社会の様々な問題です。社会全体に関わる構造的な問題でありながら、犯罪や暴力に関わった当事者だけを罰するという皮相的な解決策しか見いだせない社会的な矛盾は、容易に変えられるものではありません。
 しかし演劇活動は、当事者(を含む人々)が問題の在りかを見つめ、変化への希望を持ち、その生活から脱する(自ら望む法幸に生活を変えていく)きっかけとなる可能性があると考えているのです。
 そのためには演劇が閉じられた空間で、一部の余裕のある人々のためだけに行われていては仕方がありません。開かれた空間・路上で上演してはじめてより多くの人々が考えるきっかけとなるのです。実際にその有効性、可能性が少しずつ認められ、市の社会教育や文化事業への企画プログラムの導入、ネットワークによる他の地域での演劇祭開催など、氏の活動は広がりを持ち始めています。

「路上演劇祭Japan」開催の意義
 日本の状況はメキシコとは違いますが、失業問題、中高年を中心とする自殺者の急増、十代の若者の殺人を含む犯罪、ひきこもる子供達、また高齢化にともなう様々な問題、性犯罪などの暴力、…暗澹たる現実があります。しかしメキシコの中流の人たちが路上の子供の生活を知らないように、私達もちょっと立場の違う人たちの生きにくさの現実を知りません。誰もが身近な素材で劇を作り、それを人々が行き交う空間で見せる路上演劇のアプローチは、問題がはっきりと見えないままに孤立している私達にも、1つのヒントを与えてくれるのではないでしょうか。
 日本でも近年、演劇のもう一つの可能性である社会教育的な側面が注目されつつあり、各種のワークショップが行われ、学校教育にも導入され始めています。しかしまだまだ一部で散発的に行われているに過ぎません。日本では、演劇の持つ力とその可能性はまだまだ十分に生かされているとは言えません。芸術性だけでなく、人々を立ち止まらせる面白さ、ユーモアや笑いも交えて具体的に問題を提示してともに考えるきっかけをひらくことなど、演劇の力を最もシンプルで本質的に示すのが路上演劇なのです。
 私達実行委員会は、2001年4月、メキシコで10年にわたって路上演劇祭を開き、路上演劇の有効性を確かめ、更なる可能性を追求しているギジェルモ氏と仲間達を招き、彼らの経験に学び、さらにアジアの友人達とともに「路上演劇祭Japan」を開催することにしました。そこでは演劇、教育、福祉など既に日本で同様の活動を行っている人々が集い、道往く人も含めた様々な人々と出会い、楽しみ、相互交流を深める機会としたいと思っています。海外との文化交流のみならず、南米やアジアからの在日外国人を含めた足元の異文化交流も視野に入れ、21世紀をともに生きるための幾ばくかの勇気と知恵と希望の糸口を探り、あわせてまちの公共空間の生かし方とその可能性の小さな提案を行います。